【試し読み】兄弟ができるなんて聞いてないっ!

 こちらはとらお。が運営している同人サークル「もふもふ天国!」にて刊行された同人誌のお試し読みになります。
 冊子版・PDF版ご用意しておりますのでご希望の方は以下購入ページからどうぞ。

001

 中二の夏、母が亡くなった。
 病弱ではあったが人一倍芯が強く、心優しく、真っ白くふわふわの毛並みが美しい、自慢の母だった。
 彼女と共にどこかへ出掛けた思い出はあまりないけれど、絵本の中への冒険だったら数え切れないほどにしたし、彼女が作ってくれる料理で世界各国を旅した。
 母はいつも穏やかに微笑みながら︙︙しかし、申し訳無さそうに眉を下げながら、「ごめんね、ごめんね」と謝っていたことを思い出す。
 いつもいつも、彼女は自分とどこにも出掛けられないことを悔いていた。
 自分は共に居られるだけで満足だと何度も何度も伝えたのに、その度に彼女は泣きそうになりながら懺悔を繰り返す。
 今思えば、あの謝罪は息子である僕へ向けただけではなく、不甲斐ない自分を慰めるために言っていたのかも知れない。
 ︙︙彼女の墓石を前にして、今更真意はわからないけれど。

「母さん。今日も暑いね」

 母から受け継いだ自慢の毛並みが砂埃でへたる。
 ぴっちりと締めたネクタイを緩めながら母の墓石に水をかけた。
 途端、少しだけひんやりとする空気。
 少しだけ俯いている花を生け直し、線香に火を着けて墓前にしゃがみ込む。

「もう、七年かあ」

 彼女が居ない日常は味気なくて。
 一人で本を読んでもつまらないし料理だって母のように上手くはいかない。
 それでも彼女に心配されてはいけまいと笑みを浮かべる。

「母さんは元気でやってる? 僕は元気だよ。大学も楽しいし。︙︙父さんは、相変わらず滅多に帰らないけど」

 父は医者だ。
 有名な大学病院に勤めている。
 病院内外に名を轟かせている名医で、自慢の父。
 基本的には優しく柔和で良い父なのだけれど気が弱く頼まれたら断れない性分なのが玉に瑕。
 今日も墓参りに来る途中で勤め先の病院に呼び出され断りきれず僕を墓地に送ってとんぼ返りしてしまった。

「酷いよね。父さん、母さんが亡くなってから数回しか家に帰ってこないんだよ」

 皮肉を込めてそう笑う。
 そういえば昔は、仕事を理由に病弱な母を置いて家に帰ってこない彼のことを嫌っていたっけ。
 まだ大学生とはいえ大人になった今なら︙︙彼の苦労がわからないでもない。
 断らないということは大人として他人と付き合う時、面倒な衝突を避けられる何より便利な逃げ道だ。
 他人とぶつかる労力とイエスマンになって自分だけが苦労する労力を天秤にかけ、ついつい後者を選択してしまう。
 だけど昔から嫌いだったそんな父の”断らない”性分は裏を返せば尊敬できる部分にも当たる。

「母さん︙︙僕、父さんみたいな医者になりたいんだ。どんな病を患っている患者さんでも断らない……常に希望がある方向を指し示してくれるような医者に」

 父が名医と呼ばれる理由は幾つかあるけれど、その一つが今言った”断らない”というところにあった。
 病院側の設備の問題なんかも勿論あるんだろうが症状によってはいくつも病院をたらい回しにされるなんてことは残念ながらよくあること。
 勿論、病床や担当医の不足など色々な理由があるとは思う。
 受け入れたくても受け入れられない、断腸の思いで患者さんの受け入れを断るという状況もあるだろう。
 しかしそれでも父は絶対に断らない。
 いや……断る必要がない。
 なぜなら父は、少なくとも担当医不在を理由に断らなくてもいいように内科、外科に留まらず麻酔科医などあらゆる科を専攻しているのだ。

「父さんがなんであんなに獣人科を熱心に勉強していたのか今ならわかるよ。…………父さんは、母さんの病気を治したかったんだね。そして今も、病に苦しむ獣人を救うために病院に籠もりっきりで勉強や研究に没頭してる」

 父が名医と呼ばれる理由のうち二つ目はこれ。
 彼はまだ国内どころか世界にそう多くない、獣人を診られる医師なのだ。
 昨今、獣人と人間とが平等に過ごすようになって久しいけれど、本当に平等かと言われればまだ首を傾げざるを得ない。
 その例が、医療体制。
 つい百年ほど前までこの世界を動かしていたのは人間だった。
 身体は強いが知性では人間に劣る獣人はまるで使い捨ての駒のように人間に使役され、法は人間に都合のいいように作られていたという。
 しかし獣人の中でも知能の高い個体が徐々に社会に参入し始め、やっと世界は少しずつ獣人にも優しくなり、そうしてやっと平等が謳われるようになった。
 医療体制が遅れているのはそのせいで、そもそも獣人が社会に参入し始めるまで獣人だけが罹るような病や怪我の治療といった部分に関心のある者がそう居なかったのが何よりの原因だろう。
 だから、獣人特有の病や怪我に関して治療はまだ荒削りな部分が多い。
 獣人は平均寿命が人間より長く、また出生率も出生数も高いので人口の推移を見る限りは気付かれにくいが、死者数は人間の倍だ。
 医療体制が未熟なせいで幾つもの”不治の病”……もとい”今の技術では太刀打ちできない病”が存在し、それによって命を落とす獣人がまだ世の中には数え切れないだけいる。
 母のように。
 そんな世の中を変えたいと、母の葬儀の日に父が言っていたのを思い出す。
 そして僕も今、父と同じ方向を向いて我武者羅に勉強しているのだ。

「やることいっぱいで大変だけど……でもやりがいもあるんだ。すごく楽しいよ」

 父と共に今の世界を変えるのが僕の夢。
 獣人が病に怯えなくてもいい世界を、父と作りたい。

「もう行かなきゃ。じゃあまたね、母さん。今度は父さん、引きずってでも連れてくるから」

 墓石にそっと手を添えるとひんやりとした温度の向こうに微かなぬくもりを感じる。
 きっとそれは、ただ墓石が夏の日差しを浴びて暖かくなっていただけなのだろうけれど……僕はどこかに母の匂いを感じながら静かにその場を後にした。


002

「おーい、純~!」

 名を呼ばれて振り向くと、同じ学部の友人、朝陽がにこにこと笑いながら手を振っていた。
 それに手を振り返している間に純正コーギー種の彼は、てちてち、と効果音が付きそうなくらい可愛らしい足取りで近付いてくると僕の顔を見上げる。

「なあなあ、今日の夜って空いてるか?」

 きらきらとした瞳に見上げられて、何やら嫌な予感がした。

「実は今日合コンなんだけどさあ、一人来れなくなっちゃったんだよ! お願い、純! 来てくれない?!」
「ええ? 嫌だよ。僕、勉強しなきゃだもん」
「そう言わずに! コンパ代はボクが出すから! ねっ? ねっ?」

 まるで拝むように両手をすり合わせた友人は、神様仏様純様~なんて調子のいいことをずっと呟いている。
 
「頼むよ~! 純が来ると女の子の反応めっちゃいいんだよ! いつもの“サモエド・スマイル”で居てくれるだけでいいから! ねっ?! 一生のお願いっ!」
「僕をエンターテイメントみたいに使わないでよ︙︙」
「そ、そんなつもりはないぞ! ボクはただっ、純と一緒に美味しい飯が食いたいだけで!」
「またそんな見え透いた嘘吐いて。はあ、わかった」
「マジ?! ほんと?! やったあ! じゃ、今日講義終わったら校門前集合だぞ! 遅れるなよ!」
「はいはい」

 やっほう、とスキップしながら朝陽はどこかへ走り去っていった。
 調子のいいやつなんだから。
 小さく溜息を零して前に視線をやると、大学の窓ガラス越しに自分と目があった。
 ふわふわの真っ白い毛並み、大きな体躯、そして︙︙いつも持ち上げられた口角。
 別に意識して笑顔を浮かべているわけではないのだけれど、生まれつき笑顔を浮かべているように見えるのが僕たちサモエド種の特徴だ。
 さきほど朝陽が言っていた“サモエド・スマイル”というのもこの顔の作りから来ていて、世間からは癒やされるとか優しい顔が素敵とか褒められることが多い。
 そんな見た目だからか初対面の人にも警戒されず、道を聞かれたり観光客からカメラを渡されたりなんてことはしょっちゅうだ。
 その分、お年寄りのサモエドなんかは騙しやすそうってことで詐欺や犯罪のターゲットにされることも多いんだとか。

「はあ」

 溜息を零しても、眉を顰めても、どこか情けない表情のままの自分。
 自分のことは決して嫌いではないけれど男としてはどこか頼りなく見えてしまうのが何とももどかしかった。
 あまり興味もないが今日みたいにコンパに賑やかし要因として呼ばれる確率も高い。
 まあ人と話すのは好きだし楽しいから良いのだけれど︙︙正直、遊ぶ時間があるなら全部勉強に回したいというのが本音。

「次の講義どこだったっけ︙︙」

 夜が来るのを若干憂鬱に感じながら、僕は次の講義を受けるべく歩みを進めるのだった。


 ◆ ◇ ◆ ◇


「ういぃっく。すみぃ! にけんめいくぞぉ! まだまだよるはこれからだぁ!」
「次行ったら四軒目だし、もう皆帰ったよ朝陽」

 べろんべろんに酔っ払った朝陽を担いで、夜の街を歩く。
 ふいと時計を見ると︙︙うわ、もう四時じゃん。
 空が少し明るいのも納得。
 結局、今回の合コンでは特にカップルは成立しなかったようだけど、どうやら友人としては全員ウマが合ったらしくヒートアップして居酒屋をハシゴしたかと思ったら最後にカラオケに飛び込み、ついさっき全員で連絡先を交換して解散した。

「すみぃ︙︙きてくれて、ありがとなあ︙︙」

 僕の背中に頬を押し付けながらふにゃふにゃと喋る彼。
 少し強引で自分勝手なところもあるけど、こういうところが憎めないんだよね、こいつは。

「どういたしまして」

 しかし流石に家まで送ってあげるほど優しくはないので、適当にその辺のタクシーを捕まえて車内に友人を放り込み運転手に友人宅の住所を伝えた。
 本人が宣言した通り飲食代は彼がすべて支払ってくれたのでタクシー代くらいはくれてやろう。
 友人を乗せたタクシーが走り去るのを見送って、ゆっくりと帰路につく。
 家までそんなに距離があるわけでもないし酔い醒ましも兼ねて歩いて帰ることにした。
 煌びやかにネオンを纏っている週末の繁華街は、朝方の時間帯だと言うのにまだざわざわとした喧騒に包まれている。
 ひんやりとした空気がアルコールで火照った頬をなで上げていき、思わず身を縮こませた。
 その時大きな通りに設置されている巨大なビジョンから軽快な音楽が流れ青年の姿が映し出される。
 細い手足に白い肌、何かを射抜くような鋭い視線。
 多分ああいう子が世間一般で”イケメン”って呼ばれるんだろうな。

「名前なんだっけ、あの子」

 あまりエンタメに興味がないので名前が思い出せないけれど、確か人気のモデルさんだったような気がする。
 同じ学部の女の子数人が集まり雑誌を食い入るように見て、彼のことを格好いいとべた褒めしていた。
 ええと︙︙︙︙駄目だ、全然名前出てこない。
 でも確かまだ高校生なんだったかな。
 若いのに凄いなあ。
 なんて、そんなことを思いながら家に向かって歩くこと三十分、やっと家に帰り着く。
 廊下を抜けて洗面所に向かうと今朝家を出たときには空っぽだった洗濯カゴに洗濯物がこんもりと放り込まれていた。
 恐らく、父が帰ってきていたんだろう。
 あまり電池残量がないスマホを開くが父からなにか連絡が入った様子はなし。
 全く、家に帰ってくるなら連絡しろっていつも言っているのに。
 父のことだからどうせご飯もろくに食べず勉強にしているんだろう。
 体調崩すから家に帰ってくるときぐらいは僕が用意したご飯を食べるように言っているのに。
 溜息を零しながら乱暴に洗濯カゴに放り込まれている高そうなスーツをハンガーに掛け直す。
 寝て起きたら近所のクリーニング屋さんに持っていかなければ。
 洗濯は︙︙明日でいいかな、面倒だし。
 連絡を紅にせよ帰ってきたならメモ書きの一つでも置いていってくれればいいのに、なんてちょっと我儘を考えながら服を脱ぎ捨てる。
 普段ならあんまり気にしないのだけれど、今日は思ったより酔っているらしい。
 自分以外誰も居なくなってしまった立派な一軒家は何だか肌寒くて、少しだけ熱めのシャワーを浴びた。

「父さん、身体大丈夫かな」

 頑張っているのはわかるのだけど、些かオーバーワーク気味な気がする。
 病院に籠もって勉強するくらいならせっかく書斎もあるんだし家ですればいいのに。
 そうしたら晩御飯の一つでも食べさせてあげられるのにな。
 あ、そうだ。
 明日は大学も休みだし父さんの様子見に行こうかなあ。
 お弁当でも作ってあげて︙︙うん、そうしよう。
 そうして翌日、作り置きのおかずと卵焼き、炊き込みご飯を二段構造のお弁当箱に詰め込み、出発。
 道中でクリーニングにスーツを出して僕は父の働いている病院を訪れた。
 そういえばこうして父の職場に来るのは久しぶりだ。
 とりあえず病院に入ってすぐのところにあるナースステーションに顔を出す。
 するとこちらに気付いてくれたらしい一人の看護師さんがぱたぱたと歩いてきた。

「あのー、すみません」
「はいはい。何か御用ですか︙︙って、あら? もしかしてあなた、純くん?!」
「え? あ、はい。そうです、けど」

 ええと、誰だろう。
 一方的に名前を知られていることにぽかんとしていると彼女はにっこりと微笑む。

「覚えてないかしら? 十年くらい前、純くんがお母さんが倒れちゃったって泣きながら病院に駆け込んできたことがあったでしょう? そのときに受付にいたのよ、私」
「︙︙︙︙あっ!」

 言われて、思い出す。
 たしかまだ自分が小学校に上がってすぐぐらいの時、母が今日は調子がいいからと言って夕飯の支度をしてくれていたことがあった。
 だけど母はその支度中、無理をしていたのか或いは急な発作だったのか顔を真っ青にして倒れてしまったのだ。
 まだ小学生だった自分はパニックになって慌てて家を飛び出し、父の病院に駆け込んだんだっけ。
 家と病院は決して近くはないのにその時はあまりに必死で︙︙交通機関を使うっていう頭もなくやっとの思いで走ってたどり着いて、受付に居た綺麗な看護師さんに泣きじゃくりながら母さんを助けてくれと懇願したような記憶がある。
 よくよくその受付の女性を見ると確かにあの頃の面影があった。
 彼女は父の名前を聞くとすぐに手際よく父に取り次いで、救急車を手配してくれたんだよね。

「ふふ。思い出してくれた? 流石に十年も経ってるもんだから、年食っててわかんなかったかしら」
「そんなつもりは。昔のことなのですぐ思い出せなくて。お綺麗なのは変わっていませんよ」
「あらもう上手なんだから。そんなことより今日はどうしたの?」
「父と少し話をしたくて。今、手は空いてますか?」
「ちょっと待ってね。先生の今日の予定は︙︙と、今は大丈夫そうよ。先生の部屋の場所はわかる?」
「大丈夫です。ありがとうございます」

 帰る時は声を掛けてねえ、と手を振る看護師さんに見送られて目的地を目指して病院内を進む。
 病院に漂うちょっと癖のある薬品の匂いとどこかひんやりとした空気感は嫌いではない。
 途中ですれ違う患者さんやお見舞いに来たらしいご家族と挨拶を交わしながら、ちょっと大きめの扉の目の前にたどり着いた。
 扉を三回ノックしようと手を握って拳を作った、その瞬間のこと。

「秋鳴先生。私、先生のこと好きです」

 扉の向こうから聞こえてくる凛とした鈴の鳴るような声。
 静寂に混じって困惑したような呼吸音が聞こえる。

「返事は今じゃなくていいです。考えておいてください」

 その言葉と同時に、足音が少しずつ扉に近づいてきた。
 慌てて近くの物陰に隠れて(身体がでかいのでもしかしたら気付かれていたかもしれないけれど)父の部屋から出ていく人影を目で追う。
 第一印象を一言で言うなら、クールビューティーって感じだ。
 整った顔立ちに、すっきりと短く切りそろえられたボブときりりとした目元はまさに“できる女性”という印象。
 でも鋭い視線にどこか母性というか優しさのようなものも滲んでいて、なんだろう、思わず母さんと呼びたくなってしまうような人だ。
 僕の母も、病弱ながらその目は生気に満ち溢れてきらきらとしていてすごく誇らしかった。
 自分に厳しすぎるきらいがあるのは頂けなかったけれど。
 父の部屋から出てきた女性はそのまま姿勢良く歩き、廊下の角を曲がっていく。
 遠くなっていく足音を見送ってから恐る恐る開けっ放しになっていた父の部屋を覗き込んだ。

「と、父さん?」

 父は突然のことに脳内処理が追いついていないのか、ぽかんとしたまま椅子に座って固まっている。
 目が合うと彼は何度か瞬きをして、そして自分の頬をぺちぺちと叩いたと思ったら笑みを浮かべた。

「純、よく来てくれたね。ほら、そこに座りなさい」

 流石に告白される現場を実の息子に見られるのは恥ずかしかったのだろう、父は何事もなかったかのように僕を客人用の椅子に座るように促す︙︙が。

「父さん、無理だよ。誤魔化しきれないよ」

 見て見ぬ振りをするにはあまりにも衝撃的すぎた。
 ちょっと野次馬根性も働いてしまう。
 僕の言葉に父は、むぐ、と小さく呻いて顔を覆った。

「今の人は?」
「︙︙︙︙後輩︙︙」

 後輩ってことは、同じお医者さんなんだ。
 白衣を着ていたから何となくそうだろうなとは思ったけれど。

「かれこれ十年以上、私と一緒に医療の前線を支えてくれた優秀な後輩だ」

 彼はそう言うと、顔を覆っていた手を膝の上に置く。
 うわあ、恥ずかしさからか父さんがとんでもなく小さくなってる。
 ただでさえ人間である父は獣人である自分より小さいのに、肩を丸めてぼそぼそと喋るその姿はことさら小さく見えた。

「で、付き合うの?」

 普段仕事に夢中になっている彼への意趣返しも込めてそう尋ねると彼は、あ、だの、う、だのと零しながら目を泳がせる。
 我が父ながらキョドり方が情けない。
 僕がそんなに気が強くないのは確実に父からの遺伝だろうなあ。

「か、彼女のことは、ほんの数秒前までは優秀な後輩だとしか思っていなかったんだぞ。なのに、そんな急に︙︙」
「“ほんの数秒前までは”ってことは、今はちょっと気になってるってことかなあ?」
「す、純っ!」
「ごめんごめん」

 とりあえず父に持ってきた弁当箱を差し出すと彼はどこかバツが悪そうにそれを受け取った。

「別に新しく好きな人ができたって母さんを忘れるわけじゃないんだから、そんな深刻に考えなくてもいいと思うよ。もう七年も経つんだし」
「それはまあ︙︙そう、なんだけど」

 母の葬儀の日は色々な人が彼女を悼んでくれたが、父だけは涙もこぼさず悔しそうに拳を握りしめ唇を噛んでいたのを思い出す。
 きっとその時抱いていた思いは未だに変わっていないのだろう。

「僕だって母さんが大好きだよ。今でもね。でも、それと同じくらい父さんのことも大事だから。どうせ父さん、研究に没頭したら食事とか睡眠とか疎かになるでしょ。僕が父さんの健康管理を四六時中できたらいいんだけどそうもいかないし。父さんのことをちゃんと考えてくれてご飯作ってくれるような人がいたら、僕は安心だな。︙︙もう僕は家族を失いたくないから」
「純︙︙」
「ま、こういうのって結局本人たちの気持ち次第だから僕がどうこう言えることじゃないけど。ただ、父さんがどんな選択をしたとしても僕は反対しない。きっと母さんもね」

 そう言うと父は暫し黙り︙︙そして、何も言わず僕が持ってきた弁当箱を明けた。

「今、食べていいか?」
「もちろん」

 父は箸を手に取ると唐揚げを一口齧る。

「懐かしい、味だ」
「そりゃ母さんに教えてもらったレシピだからね。当たり前だよ」
「そうか。︙︙そうだな。ありがとう、純」
「どーいたしまして」

 顔を上げた父は小さく鼻を啜って、次のおかずにそっと箸を伸ばした。



003

 それから数ヶ月後のこと。
 大学から帰宅すると、家の玄関に父のものと思われる靴、そして女性もののパンプスがきちんと整列していた。
 お客さんだろうかとちょっとビクビクしながらリビングに足を踏み入れるとダイニングチェアに座っている父と目が合う。
 そして父の正面に座っている、僕には背を向ける形になっていた女性がゆっくりと振り向いた。

「あっ」

 記憶にあるその横顔に思わず声を漏らす。
 数ヶ月前、父に告白していたクールビューティーな女医さんだ。
 彼女の顔を見た瞬間、不思議に思っていた今の現状にぴんときた。
 なんだよ、父さんったらちゃっかりしてるなあ。

「お、おかえり、純。えっと、この人は」

 父が少しあたふたしながら僕を紹介しようとした時、女医さんがすっと立ち上がり僕の顔を見上げる。
 女性にしては背が高いな、この人。
 彼女は少しだけその場で固まったかと思うと何かを決心したように小さく息を吐いた。

「はじめまして。医師の葉島美季といいます。お父さんの後輩で、同じ病院に勤務しています。突然お邪魔してごめんなさい」

 ぺこ、と頭を下げる彼女につられ、慌てて頭を下げる。

「これはご丁寧にどうも。秋鳴純です」
「あなたのことはお父さんから聞いていました。とても優秀で素敵な息子さんだと」
「そ、そんなことは。ところで、今日はどういったご用件で?」

 彼女が次ぐであろう二の句にはなんとなく予想はついたけれど、様式美と言わんばかりにとりあえずそう尋ねてみる。
 すると彼女は先程までのクールな表情から一転、ぼっ、と音が出てしまいそうなくらい顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。

「えっと︙︙そ、それは、その︙︙」

 もじもじして次の言葉を紡げずにいる彼女、えっと、美季さんは困ったように眉を下げて父の方をちらりと見る。
 突然視線を向けられた父も同じく恥ずかしそうに頬を染め、二人は無言で見つめ合い出した。

「と、とりあえず、座りなさい。ね、純」

 はっはーん。
 これはもう結構深い仲だな?
 なんて、邪なことを考えながらとりあえず促されるまま僕は父の隣に座る。

「ごほん。えっと、実はだな。私と彼女、美季さんは︙︙その、少し前からお付き合いをしているんだ。お互い境遇も似ているから色々相談に乗って貰っていて。そうしたらまあその、そういうことだっ」

 わざとらしく咳払いをした父は一息にそう言い切り、また顔を真っ赤にして下を向いてしまった。
 我が父ながら純情すぎやしないか?
 このまま父、あるいは美季さんの言葉を待っていたら日が暮れる︙︙いや、とっくに日は暮れてるな。
 日付を越してしまいそうだったので、助け舟を出すことに。

「で、結婚を前提に付き合ってるから、家族を紹介したいってことで合ってる?」

 僕の言葉に父と美季さんはこくりと頷いた。

「そういうことなら改めまして。秋鳴純です。医大に通ってる三年生です。よろしくお願いします、美季さん」

 笑いかけると彼女はぎこちなくもう一度頭を下げる。
 うむむ、どうみてもカッチコチだ。
 僕がリビングに入ってきた時からずっと不安そうにそわそわとしている彼女の様子を見るにきっととんでもない覚悟をしてここにきたんだろう。
 そりゃ恋人の連れ子に会うんだから、並の覚悟じゃこの場にはいられないよな。
 たかが大学生でしかないやつの言葉がどれだけ彼女を安心させられるかわからないけど、とりあえずは僕の気持ちを話してみることにする。

「美季さん。前に父には言ったんですが、僕は父が恋人を作ることに反対しません。もしかしたら美季さんは僕の母に申し訳なさとかそういうものを感じているのかもしれないけれど、大丈夫ですよ。母はそんなに弱い人じゃないので。寧ろ父がいつまでも一人だったら心配していたと思います。父は︙︙こと医学以外はてんでダメな人なので」

 少しでも美季さんの緊張が解ければと思い、冗談ぽく笑いながらそういうと彼女は少し安堵したように口角を上げた。

「息子という立場でしかできないことがあるように、恋仲という立場でしかできないサポートもあると思います。だから美季さん、父をどうぞ宜しくおねがいします」

 もう一度彼女に対して深く深く頭を下げる。
 すると隣からは、ずず、と鼻を啜る音が聞こえた。

「ううぅ︙︙純は本当にいい子に育ったなあ︙︙ぐすっ」
「ああもう、ほらティッシュ」

 いい年してぼろぼろと大粒の涙をこぼす父になんだか恥ずかしくなる。

「で、父さん。今日美季さんをお招きしたのは紹介したかったってだけでいいのかな? もう話が終わったなら、夕飯作るよ。折角だし、美季さんも食べていってください」
「まっ待ってくれ純。その、もう一つ、伝えたいことがあって」

 キッチンへ向かうため立ち上がろうとした僕を父が呼び止める。
 なんだろう?

「実はな、彼女が今住んでいるアパートがちょうど契約更新の時期らしくて。それで︙︙同棲を始めたいんだ」
「うちに住むってこと? 僕は別にいいけど。部屋も余ってるし」

 ちょっと気恥ずかしいけれど。
 でも二人的にこんなでかい息子が家に常にいるっていうのは気まずくないのかなあ。

「そうじゃないんだ。その、少し離れたところにマンションを借りてな。そこで数年暮らして、入籍を済ませたらこっちに引っ越してこようと思ってる」

 ああ、なるほど。
 まあそのほうがお互いの人となりもわかるしいいかも知れない。
 相変わらず僕の暮らしは寂しいままみたいだけど。
 っていうか父さんが美季さんと住んじゃったらいよいよこの家には帰ってこなくなるのか。
 それはちょっと寂しいな。
 だけど時折目を合わせて幸せそうに笑う二人を邪魔するのは忍びないし、もう少し我慢してやるか。
 流石に結婚したら父さんも家に帰ってくるでしょ。

「僕に気を遣ってるなら大丈夫だよ。この家での一人暮らしにはもう慣れてるし。二人で仲良く暮らしなよ」
「あ、ああ。ありがとう。︙︙それでな、えっと」
「もう、なに? はっきりしないなあ」

 ちょっとイライラしてきたぞ。
 この人こんな性格でオペの時、どう切ろうかで三時間悩んだりしてないだろうな?

「実は、純には弟ができるんだ」
「︙︙︙︙︙︙は?」

 ぽ、と頬を染めながらいう父。
 え?
 ︙︙︙︙は?
 待って、え?
 思わず美季さんに視線をやると、彼女も頬を赤らめて俯く。
 えっ、嘘でしょ。
 まさかこの親父︙︙?!
 いい年こいて何してんだ?!

「そ、それでな。その弟くんと、この家で一緒に暮らしてほしいんだ」
「︙︙︙︙んん?」

 ちょっと待って。
 一緒に暮らす?
 んんん?

「そ、その弟くん? って?」
「美季さんと前の旦那さんとの子でな。いま高校二年生だ」
「連れ子かい! 紛らわしい言い方するなよ!!」

 美季さんまで顔赤くするもんだからいい年してデキ婚︙︙今は授かり婚っていうんだっけ、とりあえずそういう感じかと思ったじゃんかよ!
 コント仕掛けのスペシャリストか僕たちは?!
 っていうか、いやいや待て待て!
 そんないきなり初対面の、しかも高校二年生なんて多感な時期に母親の恋人の連れ子と二人きりで暮らすなんて絶対嫌がられるだろ!

「本人たっての希望なんだ。今日は用事があって来られなかったみたいだが」
「マジか」

 いやまあ本人が嫌じゃなければいいんだけども︙︙。
 でもよく考えたら母親が恋人と暮らしているところに一緒に居る方が多感な時期の子供からしたら嫌なのかもしれない。
 でもそれと秤にかけられるのが全く知らない大学生とひとつ屋根の下での生活とは、あまりにもその子が不憫なような気がするけど。
 できるだけ不自由ない生活をさせてあげなければ。

「私と彼女は仕事で難しいだろうから、その子の引越しを手伝ってやってくれ」
「わかったよ。それで引っ越しはいつ?」
「明日」
「明日ァ?!」

 なんで変なところ行動早いんだよ?!
 さっきまで何言うにしてもうじうじ足踏みしてたじゃん!

「だっ、ダメか?」
「いやダメっていうか︙︙もっと早く言ってよ︙︙」
「すまない︙︙」
「まあいいけどさ。じゃあ明日は家にいれば良いんだね?」
「ああ。頼む」

 それから軽く、これからよろしく、といった挨拶を交わして解散になった。
 仕事があるからと慌てて家を出ていった二人を見送ると賑やかだった家の中が一気にしんと静まり返る。
 なんだか急に家の中の温度が下がったような気がして、体を丸めてソファに横になった。

「弟、かあ」

 どんな子なんだろう。
 誰かと共同生活するなんて久しぶりなのに、いきなり初対面の、しかも高校二年生の男の子︙︙。
 ええと、高校二年生だから︙︙五歳差? 兄弟としてありえなくはない年齢差か。
 どんな日々になるかまだわからないけれど単純に誰かと生活を共に出来るというのは嬉しい。
 ただでさえ父は殆ど帰ってこなくてずっと一人暮らしだったし。

「仲良くできたら良いなあ」

 楽しみ半分、不安半分。
 ぐちゃぐちゃな内心のまま僕はそっと目を閉じた。

 ◆ ◇ ◆ ◇

 翌日、なんだかそわそわして早起きしてしまった僕はとりあえず家を隅々まで掃除し朝早くから開いている薬局で日用品を買い足して、件の”弟くん”が家に訪れるのを待っていた。
 時計を見上げると十一時四十三分。
 なにかしていないと落ち着かなくって昼食の仕込みでもしようかとソファから立ち上がった瞬間、呼び鈴が鳴る。

「は、はーい!」

 うわわ、どうしよう。
 大学の入試のときより心臓ばくばくしてる。
 ドア開けた瞬間、チェンジで、とか言われたらどうしよう。
 荒ぶる心臓を落ち着かせるために一旦深呼吸して、家の玄関を開けた。

「︙︙あ、の︙︙どうも」

 震える声でそう言いぺこりと頭を下げた影。
 その影の主は、野球部が持っているようなボストンバッグを一つぶら下げた青年だった。
 細い手足に白い肌、何かを射抜くような鋭い視線。
 きりっと細い目元は成程確かに美季さんと同じ面影がある。
 というか︙︙荷物、それだけ?
 いや流石に違うか。
 多分この後引っ越しトラックが来るんだろう。

「いらっしゃい。︙︙じゃ、ないか。ええと」
 
 バッグの肩紐をぎゅうと握りしめた彼はきつく口元を結んでいた。
 彼をできるだけ怖がらせないよう声のトーンをあげて、笑みを浮かべる。

「話は聞いてます。僕は秋鳴純。きみは?」
「︙︙︙︙葉島累︙︙」
「じゃあ、累くん、って呼んでいいのかな」
「︙︙好きに呼べば」

 ふいとそっぽを向く彼。
 ま、初対面だとこんなもんだよね。
 寧ろちゃんと名乗ってくれたことを考えると根はいい子なんだろう。

「お母さんから事情は聞いてる?」

 青年もとい累くんは小さくこくりと頷く。
 彼のためにさっき買ってきたばかりのスリッパを出して、手招きをした。

「どうぞ上がって」

 すると彼はおずおずと靴を脱いでフローリングの上にあがる。

「これからはここが君のおうちだから、好きに使ってくれていいからね」
「︙︙ん」
「ああ、それと」

 リビングに案内しながら彼に振り向く。
 ”いらっしゃい”も”どうぞ上がって”もなんだかしっくりこなかった。
 今この場で、彼を迎え入れるために最適な言葉はきっと、

「おかえりなさい、累くん。これから宜しくね」

 拝啓、母さん。
 僕にはこの日、五歳年下の弟ができました。


004

 累くんと暮らすようになってから数日。
 僕は自分以外の誰かと共存することの難しさをひしひしと感じていた。
 この家にやってきてから累くんは簡単な受け答えや挨拶くらいはしてくれるのだけれどやっぱりどこか距離を置かれているというか一線のようなものを引かれているような気がしてならない。
 例えば、一緒にこうしてご飯を食べていても︙︙。

「る、累くん? 美味しい?」

 味噌汁を啜りながら、こくり、と頷く彼。
 しかしそれ以上会話は続かず終了。
 ううん、手強いなあ。
 こんな感じで彼との距離を感じる要因の一つがあまり話してくれないこと、次が目を合わせてくれないことだ。
 数日前、初めてこの家にやってきた彼に向かっておかえりなさいと告げた僕に、ぼそりと、ただいま、と返してくれたあの瞬間に目が合ったきり。

「僕、今日大学夕方までだから。お弁当はキッチンに置いてあるから学校に行くとき持っていってね」

 また彼はこくりと頷くだけ。
 そうして訪れる沈黙。
 母が亡くなってから家の中はいつもしんとしていたけれど、誰も居ない静寂より誰かがいる静寂のほうが気まずくて随分寂しいものだ。
 気長に接していくつもりではあるけれどどこか焦っている自分もいて、もどかしさを覚えながらちらりと累くんを見る。
 スマホを何やら厳しい顔で睨みつけている彼は僕の視線には気付いていない。
 それをいいことに思わず彼のことをじいと見つめてしまった。
 彼と過ごすようになって数日、実は気になることがある。
 累くんとはどこかで会ったような気がするのだ。
 最初は美季さんに似ているからだろうかと思ったけれど違う。
 はっきりと彼のことをどこかで見たことがあると断言できるくらいには見覚えがある。
 しかし、どこで会ったのかをずっと思い出せなくて、ここのところモヤモヤしっぱなし。
 色々情けないなあ、僕。

「じゃあ、いってくるね」

 こくこくと何度か頷いた彼に見送られ、家を出る。
 律儀に玄関まで見送りまでしてくれるところをみると嫌われているわけではなさそうなんだよなあ。
 一体どうしたら彼はもっと僕に心を開いてくれるだろうか。

「よ、純。暗い顔してどうした?」

 上から降ってきた声に引っ張られるようにして顔をあげると朝陽がにんまりと楽しそうな笑みを浮かべている。
 朝一の講義、そういえば彼も同じだったか。

「まあちょっとね︙︙」
「なになに? 悩み事? 朝陽お兄さんに話してみなさいな」

 そう言うと彼は僕の隣に腰を下ろした。

「お兄さんって。学年は一緒だし、年上だけど気にせず接しろって言ったのは朝陽だったでしょ」
「そ、それは言ったけど。でも三年の差は大きいんだぞ~!」

 頬をふくらませる朝陽。
 相変わらず騒がしい。
 ちなみに彼と年齢が違うのは単純な理由で、高校卒業からストレートで医大に入学した僕と違い、朝陽は三年間一般企業のインターンなどを経て働いていたからだ。
 彼曰く、三年の間に死にものぐるいで学費を貯めていたんだそう。

「ま、冗談は兎も角さ。お前がそんな顔になっちゃうくらい悩んでんなら、友人として聞いてやりたいって思ってるわけ。︙︙話してみ?」

 に、と朝陽は優しく笑うと頬杖をついて、僕の言葉を待つ体勢を取る。

「高校生と仲良くなるにはどうしたらいいかなあって、悩んでてさ」
「︙︙︙︙ちょっと待って。悩みの内容が予想外過ぎてなんて言ったらいいかわかんないんだけど。とりあえず未成年に手出したら捕まるってことはわかってるよね?」
「えぐい誤解されてるなあ」

 どこまで話すものかと迷ったけれど、どこから話しても誤解を招きそうだったので諦めて父が再婚を考えていることからその再婚相手の子と同居していて距離感がわからず困っているということまで洗いざらい吐くことにした。
 終始朝陽は僕の話を黙って聞いてくれたけど、全て聞き終わったあと深く息を吐いて、一言。

「お前すごい人生送ってんな」
「あはは。お陰様で」

 思わず苦笑いをすると朝陽は少し眉を顰める。
 昼過ぎにやっているドラマのような展開に一番ついていけていないのは、きっと僕自身なんだろう。
 それを彼は見抜いているのかもしれない。

「なるほど。まあ話を聞く限り嫌われてるわけではないっぽいな。となると、共通の話題がないのが原因かもよ」
「共通の話題?」
「そ。人とのコミュニケーションって結局、どんな場面でも”話題”が必要になるじゃん。例えば趣味が一緒とか好きなテレビ番組が一緒とかさ。そこから”もしかしたらコイツとはウマが合うかも”って思って、一緒に過ごしていって、そーやって作った思い出がどんどん共通の話題になっていく。そんで他愛もない話で盛り上がれるようになるってのが人との関わり合いの最高点だとボクは思うわけ」
「ああ、まあ確かに」
「多分相手の子もさ、五歳も年上の相手に対してどんな話題を振っていいかわかんないんじゃない? だから会話が止まる。今の状況で、純とその弟くんとの共通の話題っていったら多分親父さんとかお母さんとかの話になるんだろうけど今はその辺の話ができるほど関係性築けてないだろ?」
「うん。まだ会って数日だからね」
「じゃあやっぱ例えばメディアとかゲームとか、誰でも知ってそうなもんで当たり障りのない共通の話題を探すのがまずは距離を縮める一歩なんじゃないか?」
「当たり障りのない共通の話題、かあ」
「そう深く考える必要ないんだよ。最近の高校生には何が流行ってんのかなとかそういうのをさらっと知っとくといいって感じ。例えばテレビ見てて話題の俳優とかが出てきたら”この人、知ってる?”って声かけるだけでも多少会話は続くと思う。ま、知らないって言われたら、そん時はそん時だな」
「なるほどねえ。じゃあ、朝陽は最近の高校生に人気そうな人知ってるの?」
「ふっふっふ。ボクはいつでも女の子との会話に困らないよう最新のトレンドを取り入れてる、朝陽さまだぞ~? ボクの最近のイチオシは、この子!」

 そう言って、がさごそと鞄を漁った彼は一冊の本を取り出して僕の目の前にそれを置いた。
 勢いよく置いたもんだからスパァンと小気味よい音がなる。

「ずばり! 高校生モデル、RUIくんだ! 彼が人気な理由は色々あるけど、何よりまず高校生は自分と同じ年代の子が芸能活動してたらそれだけで飛びつくもんなんだよ! しかもこの子は最近めっちゃ注目されてきて、モデル一本なのに知名度がその辺の芸能人とは桁違いで︙︙って、純? 聞いてるかー?」

 目の前に差し出されたのは一冊の雑誌。
 その表紙を飾っているのは、少し前、合コンの帰りに大きなビジョンで見た、名前が思い出せないモデルさん。
 まさか︙︙いや、そんなわけは。
 一度目を擦ってもう一度表紙の青年をじいと見つめる。

「おーい、純? 死んだ? おーい?」

 今朝自分を送り出してくれた累くんの顔を思い出した。
 表紙に写っている青年は化粧とか髪のセットとか色々しているから雰囲気は違うけど、きりっとした吊り目とか口元とかが引くくらい似てる。
 それに泣き黒子も︙︙。
 ︙︙︙︙い、いやいや、待て待て。
 落ち着くんだ、僕。
 そんなことあるわけないだろ。
 父が再婚を考えている相手を連れてきて?
 その再婚相手の子供と二人で暮らすことになって?
 この段階で割と一冊本が書けそうなくらい情報量が多いのに、更にその再婚相手の連れ子が超人気モデル?
 ないない。
 ありえない。
 ただ似ているだけだよね、きっと。
 ”るい”なんて名前の男の子は沢山いるし。
 でも︙︙他人の空似だとして黒子の位置まで一致するなんてことは︙︙。

「あっ、朝陽! それ今日発売したやつじゃん! ちょっと見せてよー!」
「いいよー。大事に見てよね」

 固まっている僕を他所に、近くを通りかかったらしい女子学生が雑誌を手に取る。

「そういえばこの近辺でRUIくんの目撃談あるんだって! マネージャーさんと歩いてるの見たってSNSで書き込んでる人いたの!」

 女子学生はぱらぱらと雑誌をめくりながら興奮気味にそう言った。
 すると朝陽も一緒になって「マジで?! すげ~!」なんて盛り上がっている。
 ︙︙ありえない、よね︙︙?

「ま、純! こんな感じでRUIくんは女子大生にも大人気だから、話題に出してみる価値はあると思うぜ! ファイトー!」

 僕の肩に手を置き、元気よくエールを送ってくれた朝陽の声は、少し遠くに聞こえた。

 ◆ ◇ ◆ ◇

 その日の夜。
 相変わらず会話のない食卓を囲みながら僕はそわそわしていた。
 何故かって?
 それはもう、目の前に座って静かにご飯を食べる累くんが、見れば見るほどあのモデルの子に似ていて落ち着かないからだよぉ︙︙!
 帰宅してからずっと、彼の顔をひたすらに見つめて累くんとRUIくんの違うところを必死に探したけれど、雑誌でちらっと見ただけとはいえ体格や骨格、目元とか殆ど一緒だし︙︙日中は彼も学校に行ってるんだと思っていつもお弁当を作っていたけれど、よく考えたら普通のなんでもない平日に大学生より高校生が遅く家を出るなんておかしいよね︙︙?!
 絶対に普通の高校生じゃないよね?!
 かといって「累くんてモデルさんなの?」なんて図々しく聞けるほど距離を縮められていないし!
 いやまあ彼がモデルさんだったとして接し方が変わるわけじゃないけれど、義理とはいえ弟になったわけだしちょっとくらい彼のことを知りたいなーって思うことは別に悪いことじゃないはず。
 しかし今の微妙な距離感ででずけずけとそんなことを聞いて、嫌われない自信はどこにもないし︙︙。
 くうぅ。
 せめて、せめて何か話を︙︙!

「︙︙ねえ」
「はいっ?!」

 突然声を掛けられて返事が上ずった。
 累くんの方から話しかけてくれるのなんて珍しくて、ついドキドキしてしまう。

「じろじろ見て何? 怖いんだけど」
「ごっ、ごめん︙︙! えっと、その」

 そりゃそうだ。
 至極真っ当なご意見だ。
 せっかくだしここで何か気の利いた一言を発して彼とお近づきになりたいものだけれど、あいにく自分にそんな便利な機能は備わっていない。

「︙︙み、味噌汁、味濃くない? 大丈夫?」
「大丈夫」

 会話終了。
 ううう。
 こんなんじゃいつまで経っても彼と距離を詰めるだなんて夢のまた夢だ。
 ここはいっそ思い切って︙︙!

「あっ、あの、さ! 累くん!」
「? なに」
「僕たち、折角兄弟になったんだし︙︙今度の土曜日、二人でどこか出掛けない?!」

 世の中の兄弟がいったいどんなふうに過ごしているのか全然わからないけど一緒に出かけるくらいは普通だよね?!
 口に出してから距離感を誤ってしまったかもしれないと思いながら恐る恐る様子を伺うと彼は慌てたようにそっぽを向く。

「︙︙用事あるから」

 がーん。
 彼の表情を見た瞬間に何となくわかってはいたけれど、やっぱり断られると悲しい。
 まあ累くんの立場からすればいきなり二人きりで出かけるなんて嫌だよね︙︙。

「そっ、そう、だよね。ごめんね」
「別に謝んなくていいけど。︙︙俺、部屋戻るから」

 そのまま目を合わせること無く、お皿をシンクに下げてリビングを出ていく彼の背中をただただ見送る。
 無計画なまま外出に誘ってしまったことを反省しながらいそいそと皿を洗い、僕もリビングを出た。
 勉強する前にシャワーでも浴びよう。
 そう思い、洗面所で服を脱いでいると、がらり、と洗面所の扉が突然開いた。

「わっ?!」

 敵襲か何かかと思い思わず振り返ったら、ぽかんと口を開けたまま棒立ちしている累くんと目が合う。
 立ち尽くしたままの彼は逃げることも扉を閉めることもなく、扉を開けたままの姿勢で固まっていた。
 ええと︙︙ど、どうしたんだろう。

「あ、あの︙︙累くん︙︙?」

 声をかけると彼はびくりと肩を揺らし、みるみる真っ赤になっていく。
 かと思ったら彼は声にならない悲鳴をあげながら爆音を立ててドアを閉めた。
 風圧で顔の毛が全部逆立つ。
 もしかして今︙︙に、逃げられた︙︙?

「逃げるほどだらしない身体だったかな︙︙」

 洗面所の鏡に映る自分の体を見ながら、僕は静かに溜息をこぼす。
 確かにふわっふわの毛のせいでぽっちゃり体型に見られることが多い。
 かといってバキバキかと言われればそういうわけではないけど︙︙。
 健康維持も兼ねて筋トレでも始めようかな、なんて思いながら僕は風呂場に足を踏み入れるのだった。


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