とある研究員の手記

 私の名は︙︙。いや、やめておこう。
 今この手記を読んでいるあなたにとっては、私の名前など必要のない情報だろうから。
 私にはあなたが誰かはわからない。あなたが何の目的でここに来て、何のためにこの手記を手に取ったのかも到底理解できない。
 だがきっとここまで来てくれたということは、あの子についての何かを聞いて、それに駆り立てられたのだと思う。あなたが何の野心もない善良な人間であることを願うよ。
 これは謂わば、私の自己満足でただの感情の吐露だ。
 だけど約束して欲しい。この手記をすべて読み終えた暁には、あの子を大事に、大切に、ただ一人のなんてことのない女の子として匿ってくれ。
 それが、彼女と共に生きることが出来なかった私の最期の願いだ。
 だがもしあなたがそうしないというのであれば︙︙きっとあの子はあなたに対して牙を剥くだろう。
 私がそう教えたのだから。
 とにかく、全てを読み終えてからあの子にどう接するのか、判断を下してほしいと思う。
 私は、とある収容施設で働く研究員だった。
 その収容施設は例えば妖怪だの幽霊だの怪物だの︙︙そういう、不可解なるものを確保し、収容する団体。
 上の奴らは世界平和がどうとか宣っては居たものの、腹の中にはきっと形容しがたい、どす黒い野望を隠していたと思う。まあ言ってしまえば、そこまで良い職場ではなかった。
 それでも私はそこに従事することに何の疑いも持っていなかったし、連れてこられた”不可解な何か”に対して非人道的な実験を行うことになんの感情も抱いていなかった。
 あの子が現れるまでは。
 ある日、私は上司からとあるプロジェクトを一任された。
 これから運ばれてくる新たな不可解をコントロール可能にし、団体に利益をもたらす存在にせよと。なんてことのない、いつも仰せつかっているのと同じようなプロジェクト内容だった。
 では、何が違ったのか。
 私が初めてその不可解と邂逅を果たしたのはプロジェクトを任された翌日のことだった。
 不可解を収容しているという部屋に案内されながら、ほんの少しだけうんざりとしたのを覚えている。
 一体今度は何を連れてきたんだと。
 だけど、分厚いガラスに囲まれた部屋の中に居たのは、小さなクマのぬいぐるみをぎゅうと抱きしめた可愛らしい少女だった。
 分厚いガラス越しに目が合うと少女は大きくてまんまるい瞳をキラキラと輝かせ、私にぺこりとお辞儀をした。
 私が釣られてお辞儀を返すと、満足げに笑ってぬいぐるみとごっこ遊びを始める︙︙そんな、普通の少女だった。
 齢まだ二桁にも満たないその小さな少女を、上司は不可解と呼んだ。
 私は訳がわからなかった。
 今、私の目の前にいるのはただの可愛らしい少女だ。
 そう思った私は上司にふざけているのかと突っかかったが、上司は頑なにその少女を人間扱いしなかった。
 結論から言うと、その少女は確かに、人間ではなかった。
 敢えてわかりやすい名をつけるのなら――あの子は、魔女だ。
 あの子はあらゆる想像を本物にする力を持っている。
 草花でも。
 動物でも。
 彼女が欲しい、会いたいと願えば簡単に具現化した。
 自分に嫌なことをした人間に消えてほしいと願えばその人間は消滅した。
 不要だと思ったものを触れずに壊すこともできた。
 だけど、それができるだけの、小さな一人の女の子だった。
 人間の形をした不可解と接するのが初めての私に、上司は感情を殺せと言った。あれは少女などではない。人間の皮を被った化け物だと。
 だけど私はそれを素直に受け入れることが出来なかった。
 あの子と私は、ガラス越しに沢山触れ合った。
 幸いにもあの子は私に心を開いてくれて、自分の身の上話を沢山してくれたのだ。
 分厚いガラスケースの中が彼女の世界全てだということ。自分は魔女だと、普通ではないと言い聞かせられて過ごしたこと。︙︙信頼できる大人が今まで居なかったということ。
 寂しそうにそれを話したあと彼女はにこりと笑って、今はもう寂しくないよ、と告げた。
 どうして?と尋ねると、あの子は私を指差して歯を見せて笑った。

「お姉さんがいるから」
「お姉さんは他の人と違って痛いことも苦しいこともしない」
「お姉さんのことだいすき。お姉さんだけ居ればいい」

 彼女はそう言ってくれた。
 その瞬間、私はすべてを捨ててあの子と逃げることを決めた。
 確かに不思議な力を持っているかもしれない。
 到底理解の及ばない驚異を抱えているかもしれない。
 それでもこの子は、ただの少女だ。
 他の子供と何も変わらない、純粋で可愛らしい女の子だ。
 やつらのお望み通り私がこの子を愛し、コントロールしてやる。
 団体に利益をもたらすかどうかなんて知ったことではない。
 それから数日後。
 私は彼女を縛り付けていた分厚いガラスを打ち破って、あの子と共に施設から逃げ出した。
 逃亡生活は決して楽なものではなかったけれど、あの子と悩んで考え抜いて、必死に生きた。
 あれから二十年ほどが経っただろうか。
 団体は諦めたのか、はたまたそれどころではなくなったのか定かではないが、私とあの子の逃亡生活は突然終りを迎えた。  それからはこの、今あなたがいるであろう、森の中に放置されていた小さな家をあの子の力でリノベーションして一緒に暮らしている。
 気がつけば、私は年を取りおばさんになっていて、あの子は少女のままだった。
 わかっていたことだけれど、私はあの子よりも先に死んでしまう。
 だからこそ、私が死んでも生きていけるよう、色々教えてあげようと思っている。
 あの子を利用しようとする悪人と、あの子を助けようとする善人の判断ぐらいはできるように。
 さて。
 これを読んでいるあなたは一体、どちらなのかな?

◆ ◇ ◆ ◇

 手記をすべて読み終えて顔をあげると、目の前にはベッドの上のある白骨死体にぴったりと寄り添う小さな少女が居た。
 少女は様子を伺うようにしてこちらを見ている。
 ごくりと唾を飲み込んで、ゆっくりと少女に手を伸ばした。
 彼女が、自分を善人と判断してくれることを願って。


「とある研究員の手記」は”Danteson”作「SCP-239」に基づきます。
http://scp-jp.wikidot.com/scp-239@2013