君の代わりは何処にも居ない - 1/2

 獣人と人間とが共に歩んできた年月はもうかれこれ数十世紀にもなる。
 小学校の歴史の授業では、人間の祖先は「猿人」、獣人の祖先は「犬」という生き物だったのだと世間一般では教えられているらしいが、生憎と俺は小学校というものに通ったことがない。
 俺と双子の弟は、とある紛争地域に生まれた。
 両親は俺たちに物心がついた頃、銃弾の雨に倒れ、俺たちはずっと二人で生きていた。
 俺たちには身寄りも力もなかったが、ボロボロになりながらも必死で激動の中を生き抜くことになる。
 そして15になった頃、焼け野原になった母国から命からがら逃げ出して、この平和な国に辿り着いた。
 あれから二十年。
 路地裏で野垂れ死にそうになったり、泥水を飲んで腹痛に襲われたりしながらもなんとか生き抜いて生活が安定した今。
 俺は学歴職歴不問の日雇いバイトで朝から晩まで働いて、コンビニで安売りされた惣菜パンを食べるといった日々を送っている。
 弟は数年前、好きな人と暮らすと言って二人で住んでいた家を出ていった。
 弟を守るためだけに生きてきた俺は、弟の元に幸せが舞い込んだということが何より嬉しくて、快く送り出したのを覚えている。
 そして去年、弟から結婚の報告を受けて以来、彼からの連絡は途絶えてしまった。
 結婚式への参列は遠慮させてもらったが代わりに写真を送ってもらうという約束をして……それっきり。
 まめな弟が連絡を怠ることがあるだろうかと不思議に思いながらも、きっと幸せな過程を築くので手一杯なのだろうと納得し目の前を過ぎていく毎日をただ消費していた、そんなある日。

「優くんっ!」

 呼ばれ、腕を掴まれる。
 夜勤明けで昼の街を歩いていた俺の腕を掴んで引いたのは、俺より五十センチ近くも背の低い、スーツを着た人間の男だった。
 ……見たところ、50後半くらいか。
 男は暫し腕をつかんだまま俺の顔をじいと見て、そして一気にその表情を曇らせる。

「人違いだが」

 そう言うと男はハッとしたように肩を揺らし、慌てて俺の腕を離した。

「す、すみません! その、知り合いに……似ていたものですから」

 段々と弱々しくなっていくその口調に俺は眉を顰めた。
 このまま立ち去ってもいいが――知り合いに似ていたという言葉が引っかかる。
 カンガール種。
 俺はそういう種族に分類されるのだが、この国では俺と同じ種族の獣人はとても珍しく、少なくとも俺の行動範囲内で自分と同じ種族に遭遇したことはなかった。
 下手をしたら今この国にいるカンガール種は俺と弟だけの可能性すらある。
 そんな俺と誰を勘違いするというんだ。
 ……いや、待て。
 こいつ、先程俺を何と呼んだ?
 とぼとぼと去っていこうとするその男の腕を今度は俺が掴む。

「まさかお前、弟を知っているのか」

 くるりと振り向いた男の目元には薄っすらと涙が浮かんでいた。

「何故泣いている? なにか気に障ったか?」
「い、いえ! そうではないのです」

 男はぐいぐいと服の袖で目元を拭うと、改めて俺の顔をじいと見る。
 そして暫し沈黙の後、近くにあったカフェを指さした。

「もしよければ少しお話させて頂けませんか」
「……ああ、わかった」
 
 ゆったりとした足取りで歩き出した男の背を追ってカフェに足を踏み入れるとコーヒーの香ばしい匂いが鼻先をつつく。
 店員に飲み物を注文し、俺たちは空いていたテラス席に向かい合って腰を下ろした。

「とりあえず自己紹介をさせてもらおう。俺は赤坂静」
「申し遅れてすみません。私は星空まとばと申します」
「なんだそれ、名前なのか?」
「はは。まあ、一応。珍しい名前だと昔から言われてきました」

 給仕が席に近付いてきて、コーヒーを二つテーブルに置く。
 黒い水面に自分の顔が反射した。

「早速だが本題に入るぞ。お前が俺と間違えたのは、カンガール種の赤坂優という男で間違いないか?」

 男もとい、星空がゆっくりと頷く。

「なら、人違いにも納得だ。……優は俺の双子の弟なのだから」
「そうでしたか。あなたが、優くんの」

 俺と弟――優は見た目だけならば見分けがつかないほどに似ている。
 性格は真逆と言っても過言ではないほどだが。

「双子の兄がいるということは優くん本人から聞いていました。まさか街で偶然お会いできるとは」

 そういい、薄く微笑む男は震える手でコーヒーカップを手に取り、口に運ぶ。
 こいつが弟のことを“優くん”と呼んだことを考えるとそれなりに親しい仲であろうことは予想できた。
 が、この男と優の接点がいまいち見えてこない。

「それで、お前は優とどういう関係なんだ」

 単刀直入にそう尋ねると星空はびくりと肩を震わせた。
 その様子を不審に思いつつ返事を待っていると彼はゆっくりと口を開く。

「優くんとは……義理の親子になるはずでした」
「義理の親子?」

 言葉の真意がうまく呑み込めず首を傾げると男は小さく笑った。

「つまりですね、私の息子と婚約していたんです。優くんは」

 その言葉でやっと状況を飲み込むことが出来た。
 そうか。
 去年、優は結婚すると俺に報告してくれた。
 この星空という男はその結婚相手の父親なのだろう。
 ということはつまり、俺はこの男と一応親族に当たるということだな。

「そうか。合点がいったよ。いつも優が世話になっているな」

 まさか毎日大量の人間と獣人が行き交う往来でそんな人物と遭遇するなんてほぼ奇跡に近いだろう。
 よくこうして出会えたものだ。
 なんだか感動すら覚えてしまった俺は星空に頭を下げた。

「えっと……はい……」

 が、煮え切らない態度の彼に違和感を覚える。
 この男の正体に納得したところまではいい。
 先程から、星空の話し方にどこか引っかかるものがあった。
 遠くを懐かしむような、過去を想うような……そんな言い方と視線に胸の奥がざわつく。
 この言いようもない不安感を拭うべく俺は率直に、彼に問うた。

「それで、優は元気にしているか」

 途端、星空が固まる。
 まるで凍ってしまったかのように。

「……どうした」

 嫌な予感がして思わず答えを急かす。
 まさか、と嫌な予感が頭を擡げるがすぐに首を振ってそんな考えを振り払った。
 優はきっと結婚相手と幸せな日常を送っているはずだ。
 連絡が途絶えたのだって結婚相手と日々を過ごすのが精一杯ってだけだ。
 そうだろう?

「優、くんは」

 男が言い淀むその様子に喉の奥が焼けそうになる。
 なぜこの男は縋るように弟の名を呼びながら俺の腕を掴んだのか。
 なぜ俺の顔を見てこんなに泣きそうになっているのか。
 なぜまめな性格の弟と一切連絡が取れないのか。
 疑問が、繋がっていく。

「数ヶ月前……病で、亡くなりました……」

 男の言葉が肩に重くのしかかった。
 死んだ?
 優が?
 そんなわけがない。

「笑えない冗談だ」

 最後の抵抗とばかりに星空を睨みつけるが、彼は悔しそうに唇を噛んで俯くだけ。
 その様子は嘘を吐いているとは到底思えない。
 ……まさか、本当に?
 共に激動の中を生き、やっと幸せを手に入れた大事な俺の半身は、俺の与り知らぬところで息絶えたというのか。

「心臓の病でした。ドナーが見つからなくて……」

 その男の言葉を聞いた瞬間、俺は思わずテーブルを叩きながら立ち上がった。
 視界の端でカップが音を立てて倒れる。
 木目のテーブルにコーヒーが広がっていった。

「なぜ」

 思わず星空の胸ぐらを掴んでしまいそうなり、それはなんとか抑える。
 しかし声に乗る怒りだけは抑えられそうにない。

「なぜ俺にすぐ連絡しなかった?! 一つでも連絡をくれていたら、そうしたら俺は……っ!」

 彼に当たったところでどうしようもないということはわかっていた。
 だが、それでも。
 俺の存在を知っていたのなら一報くれたって良かったじゃないか。

「……迷いなく心臓を差し出していた。そうですよね?」

 静かに零れ落ちた男の言葉に固まる。
 それは、まさに俺が次に紡ごうと思っていた本心そのものだった。

「優くんから止められていたんです。きっとあなたはそうするだろうから絶対に連絡するなと」
「そ、んな」

 全身から力が抜けていく。
 どうして。
 結婚を目前に控えた幸せなあいつと誰もいないボロアパートと職場を往復しているだけの俺……どちらが生き残るべきかというのは一目瞭然だというのに。

「もうあなたに何も失わせたくないと、そう言っていました。……右足……義足、なのですよね」

 星空はその言葉と同時に俺の右足を見る。
 ぎしり、と足の付け根が痛んだ。

「自分を庇ったせいであなたは右足を失ったのだと、彼は悔やんでいた」
「違う! 俺が足を失ったのは、あいつのせいではない……!」

 この右足は、あいつを守り切ることができた、名誉の傷なんだ。
 だからあいつが気に病む必要はない。
 ……だが。
 思えば俺はそれを弟本人に伝えたことはなかった。
 あいつはずっと、悔やんでいたのか。
 悔やんだが故に俺に連絡しなかったのか。
 もっとあいつと多くの言葉を交わしていれば、もしかしたら結果は違ったのかもしれない。
 そう思うと口下手な自分自身がとても憎らしくて仕方がなかった。

「……声を荒げてすまなかった」
「いえ。仕方のないことかと」

 弱々しく笑う彼に釣られて、なんとなく少しだけ口元を緩める。
 溢れてしまったコーヒーを近くに備えてあったナプキンで拭きながら、ふいと気になったことを口にした。

「なあ、アンタは優の死に目に会えたか?」
「え? ええ。立ち合いました。もちろん、息子本人も」
「そうか」

 少なくとも弟が愛する人に看取られながら逝けたことに安堵しつつ、不思議そうな顔をしている星空に視線をやる。

「あいつはどんな顔をして死んだ?」
「え……」
「笑いながら、死んだか?」

 せめて。
 せめて最期を笑顔で飾れていますように。
 祈るような気持ちで男の二の句を待った。

「泣いて、おられました。最期に、あなたと一目会いたかったと。こんな死に方でなければあなたと会えたのにと」

 悔しそうな唇から溢れるその言葉に、俺は最後の希望すら打ち砕かれたような気がしてへなへなと椅子に座る。

「……そう、か」
「ですが笑ってもいられました。幸せな時間だった、と」

 ……何故。
 何故あいつが死ななければいけない?
 やっと幸せを手に入れたあいつが、どうしてこんなところで人生を終えなければいけない?
 そう叫び、泣きじゃくりたい気持ちを抑えながら、両手を握りしめ、星空に向き直った。

「なあ、頼みがあるんだが」

 そういうと彼は今にも泣き出しそうな顔のまま首を傾げた。

「もし優の墓の場所を知っているのなら、教えてくれないか。あいつの最期の望み通り……会いに行ってやりたいんだ。話したいことが山ほどあるから」
「……ええ。きっと、優くんもあなたに会いたがっていると思います」

 星空はふにゃりと笑って小さく頷く。
 かと思ったらコーヒーを飲み干して勢いよく立ち上がった。

「善は急げと言いますし、もしお時間があればこの後ご案内しますが」

 それに倣って俺も立ち上がり、深く頷く。

「では車を回してきますね。少しここで待っていてください」

 そう言って少し駆け足でどこかへ向かう彼を見送りながら、俺はこっそりと両手をきつく握りしめた。