いっぱい食べるキミが好き!

 

「いやあああああああああああ!」

 家中を震わせた悲鳴に、夕食をどうしようか悩んでいた俺の肩は大きく跳ねた。
 一体なにが起こったのかはわからないけれど、最悪の事態に備えて右手に包丁、左手にゴキジェットを装備して悲鳴が聞こえた洗面所に飛び込む。

「ゴキブリか?! 幽霊か?! 強盗か?! なんでもかかってこいやオルァ!」

 洗面所のドアを蹴破り、さて包丁とゴキジェットどっちを先に突き出すべきかと一瞬迷ったが、洗面所にはそれらしい影も形も、日常を脅かすような存在の気配も感じられず、拍子抜けしてしまった。
 しかし、危険はいつだってすぐ近くに潜んでいるものだ。
 とりあえず両手にある頼もしい装備を握りしめたまま、洗面所で縮こまってぶるぶると震えている空の背中に声をかける。

「空? 大丈夫か?」

 バスタオル一枚で怯えたままの彼を武装したまま抱きしめるわけにはいかないので、とりあえず包丁とゴキジェットをすぐ手に取れるよう脇に置いた。と同時に空がゆっくりとこちらに振り向く。
 優しいタレ目いっぱいに涙を浮かべ、ぐじゅぐじゅと鼻をすするその様子に思わずきゅんとしてしまった。
 彼の頬を滑り落ちた涙を拭ってやって湿っぽい彼の背中にそっと腕を回す。

「どーした、空。なんか怖いことあったか?」
「――た」
「ん?」

 ぼそぼそと、小声で何かを繰り返す空。
 あまりにも聞こえにくいので彼の口元にそっと耳を持っていく。
 ええと、なになに。

「増えていた……五キログラムも……体重が……」

 え、俳句?

「……えい」
「ギャアアアア!」

 空が纏っているバスタオルの隙間から素早く手を差し込み、腹の肉をつまんでやった。
 ううむ、たしかに心做しかプニッとしているような気がする。

「なにすんだテメェ殺すぞ!」
「ヒェッ」

 かれこれ二重年以上一緒に居たけれど、空のこんなにドスの効いた声は初めて聞いた。
 めっちゃキレてる。
 あと少しでも煽ろうもんなら包丁を手にとって刺されそうだ。

「怒んなって。確かにちょっとぷにってる気はするけど、服着ちまえばわかんねえよ。そんな気にすんな」
「気にするよ! 人生最高体重だよ?! 條のご飯が美味しすぎるからいけないんだよー! 條のばかアァ!」
「怒られてんのか褒められてんのかわかんねえなこれ」

 確かに、昔は食が細かった彼。
 一緒に暮らすようになってから確実に食べる量は増えているような気がする。

「だ、い、た、い!」

 きっ、とこちらを睨みつけた空は俺のTシャツを思い切りたくし上げた。

「うお?!」
「なんで同じもの食べてんのに條はこんなに腹筋バキバキなわけ?! わけわかんない!」
「人間と獣人とじゃそもそも筋肉量が違うだろ……。それに俺は暇なとき筋トレしてるし」
「なにそれずるい! 僕も痩せたい!」
「筋トレしてるだけのやつ相手に“ずるい”はおかしくないか︙︙?」

 えぐえぐと駄々を捏ねる空。
 可愛いなこいつ。
 とはいえ、彼がこのままご飯を食べなくなってしまうのも困るし、太るのが嫌だってんなら同じ生活させるのも申し訳ない。
 喜んでくれるからと好きなものばっか作ったりしてたし、原因は俺にもあるか︙︙。

「よし、空。ダイエットするぞ」

 ぽん、と彼の肩に手を置くと、きょとんとした瞳と視線がかち合う。
 というかこいつ、いつまでタオル一枚なんだ?

「ダイエットする……。とりあえず何すればいい? 十キロ走ればいい?」
「死ぬぞお前。筋肉つけたいなら運動しなきゃだが、元の体型に戻すだけなら食生活を改善するだけで十分だ。お前は普段どおり、俺の作った飯を食えばいい。あとは週末だけ軽く運動すれば元通り。何より、仕事の後とか折角の休みが運動だけで潰れるのは嫌だろ?」
「うん……」
「運動は土日に軽くするぐらいにしような。キツいと続かないし」
「わかった」

 こくこくと素直に頷く空を立ち上がらせ、濡れたままだった彼の頭にフェイスタオルをかける。

「じゃあ俺は早速晩飯の用意してくるから、空はゆっくり髪乾かしてきな」

 そうして空を洗面所に一人残し、床に置きっぱなしだった包丁とゴキジェットを回収して俺は意気揚々とキッチンへ向かうのだった。

 ◆ ◇ ◆ ◇

「さて、始めるか!」

 いま目の前にあるのはとりあえず冷蔵庫に入っていた白菜、それと鶏ささみ。
 今日の晩飯はミルフィーユ鍋の改造版、その名もミルフィーユじゃない鍋!
 ……センスないな、俺。
 さて、じゃあまずは鶏ささみの下準備。
 鶏ささみには固い筋がある。茹でてから取っても良いけれど、個人的には茹でる前に取っちゃうほうが楽だったり。というわけで。
 まずはささみの筋に沿って両側に深めに切込みを入れる。次に筋の端っこをキッチンペーパーで抑えながら、包丁を使って筋だけを剥いでいく。
 筋が綺麗に取れたら、鍋にささみがひたひたになるくらいまで水を入れて、白だしを大さじ四杯投入。
 あとは弱めの中火で十分間煮るだけで、常備食、鶏ささみの出汁煮の完成だ。
 これ、そのまま食べられる上に冷蔵だと一週間くらい、冷凍だと一ヶ月くらい保つからめっちゃ便利なんだよな。
 サラダとかに乗せてもいいし、そのまま食えるからちょっと小腹空いたなってときにもオススメだぞ。

「いいにおーい」

 ふらふらとキッチンに入ってきた空が、鍋の中を覗き込む。
 まだちょっとだけ髪濡れてるな。
 いっつもちゃんと乾かせって言ってるのに、もう。

「條、なにか手伝おうか?」
「じゃあ洗濯回しといてくれ」
「はーい」

 一頻り出汁の匂いを堪能したらしい空は、ふにゃりとした笑顔を浮かべると、何やら嬉しそうにキッチンを出ていった。
 そんな彼の背中を見送りつつ、鶏ささみの様子を確認。……うん、そろそろ良さそうだ。
 火を止めて、冷ますついでに数分放置。
 今日使う分以外はラップにくるんで数個は冷蔵庫、残りは冷凍庫にしまう。
 次はいよいよメインの“ミルフィーユじゃない鍋”作り!
 つっても、ぶつ切りにした白菜を出汁で煮るだけなんだけど。
 ささみを茹でたあとの出汁に白菜をそのままぶち込んで、白菜が好みの柔らかさになるまで煮込む。
 白だしに染み出したささみの柔らかい旨味がうまいんだ、これがまた。
 調味料は白だししか使っていないので、汁まで飲んでもそこまで罪悪感がないのも良い。
 俺も空も、白菜はくたくたになるまで煮込んであるのが好きなので、ちょっと長めに茹でて完成。
 あとはこの白菜と煮汁を一緒に深めの皿に盛って、その上に茹でたささみを割いて散らす。
 ついでに前日に仕込んでおいた白だし煮玉子を添えといた。
 あとは小皿にポン酢と大根おろしをセットして、と。
 完成!
 “ミルフィーユ鍋”ならぬ“ミルフィーユじゃない鍋”!
 通常、ミルフィーユ鍋は豚肉と白菜を交互に重ねたものを煮るのでそう呼ばれている。
 ただ、今日作ったやつも使ってる材料は違うけれどやっていることはミルフィーユ鍋と一緒なので、命名“ミルフィーユじゃない鍋”だ。
 メインだけでは寂しいので、味噌汁をささっと作って、漬物と作り置きの簡単な副菜も取り分け、テーブルセッティング完了。
 白いご飯は、いつもよりちょっと少なめに盛っておく。

「條ー、洗濯回したよー」
「お、さんきゅ。飯できたから食おうぜ」
「わーい! 美味しそうー!」

 いそいそと席についた空に箸を渡すと、彼は待ちきれないと言いたげに両手を合わせた。

「いただきまーす」
「ほい、召し上がれ」

 とりあえず味噌汁を一口。
 ふむ、いい塩加減。
 夢中になって食べている空を見て嬉しくなりながら、メインの白菜とささみをそのまま口に放り込む。
 じゅわりと優しい出汁の味が口の中に広がって思わずため息が漏れた。
 おろしポン酢にダイブさせて、もう一口。
 うっっっっまぁ……。
 酸っぱうまいおろしポン酢はご飯との相性もバッチリだ。
 シンプルながら食べ応えがあって、味付けはさっぱりしているのでいくらでも食べられそうな気がする。

「めっちゃ美味いよ、條!」
「そりゃ良かった。ゆっくり食えよ、早食いは肥満の元だぞ」
「うぐっ」

 俺の言葉に、空は小さなひとくちをよく噛んで食べ始めた。
 その様子がなんだか愛らしくて思わず笑みがこぼれる。
 他愛ない話をしながら食事を進めること数十分。
 空になった皿やお椀を見渡した空はにこにこしながら両手を合わせた。

「美味しかったー! ごちそう様でした!」
「ほい、お粗末様」

 キッチンに食器を下げてくれる空の背を追いかけてキッチンに向かう。
 ふいと振り向いた彼と目が合って︙︙彼の考えていることがなんとなく分かった。
 彼の表情を一言で表すなら、“もう一声!”って感じだ。

「さてはデザートをご所望だな?」
「あ、えへへ。ちょっとだけもの足りなくて」

 気恥ずかしそうに頬を掻く空。
 こんなこともあろうかと用意しておいた、とってきのデザートを冷蔵庫から取り出す。

「なになに? 美味しそう! 牛乳プリン?」
「まあ食ってみてからのお楽しみってことで」

 野菜室から取り出したキウイをちょっと小さめサイズに切って、カップの上にどーん。

「ほら」

 差し出したスプーンを受け取った空は、席まで我慢できなかったのかデザートを一口含む。
 途端、彼の目がきらきらと輝いていった。

「ヨーグルトだ!」
「正解。ヨーグルトプリン。さっぱりして美味いだろ」
「キウイあまーい! 美味しいー!」
「ほらほらちゃんと座って食えよ」

 食べながらダイニングテーブルへと向かう空を追いかけながら、別に痩せなくてもいいのにな、なんてこっそり呟く。

「條、いま何か言った?」
「いや何も」
「? そっか」

 まあでも、彼が痩せたいというのなら、全力で応えてやろう。
 愛する旦那様を満足させる食事を提供するのが、俺の大事な仕事なんだから。

 

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