兄弟ができるなんて聞いてないっ! - 1/2

 中二の夏、母が亡くなった。
 病弱ではあったが人一倍芯が強く、心優しく、真っ白くふわふわの毛並みが美しい、自慢の母だった。
 彼女と共にどこかへ出掛けた思い出はあまりないけれど、絵本の中への冒険だったら数え切れないほどにしたし、彼女が作ってくれる料理で世界各国を旅した。
 母はいつも穏やかに微笑みながら……しかし、申し訳無さそうに眉を下げながら、「ごめんね、ごめんね」と謝っていたことを思い出す。
 いつもいつも、彼女は自分をどこにも連れていけないことを悔いていた。
 共に居られるだけで満足だと何度も何度も伝えたのに、その度に彼女は泣きそうになりながら懺悔を繰り返す。
 今思えば、あの謝罪は息子である僕へ向けただけではなく、不甲斐ない自分を慰めるために言っていたのかも知れない。
 ……彼女の墓石を前にして、今更真意はわからないけれど。

「母さん。今日も暑いね」

 母から受け継いだ自慢の毛並みが砂埃でへたる。
 ぴっちりと締めたネクタイを緩めながら母の墓石に水をかけた。
 少しだけ俯いている花を生け直し、線香に火を着けて墓前にしゃがみ込む。

「もう、七年かあ」

 彼女が居ない日常は味気なくて。
 一人で本を読んでもつまらないし料理だって母のように上手くはいかない。
 それでも彼女に心配されてはいけまいと笑みを浮かべる。

「母さんは元気でやってる? 僕は元気だよ。大学も楽しいし。……父さんは、相変わらず滅多に帰らないけど」

 父は医者だ。
 有名な大学病院に勤めている。
 病院内外に名を轟かせている名医で、自慢の父。
 基本的には優しく柔和で良い父なのだけれど気が弱く頼まれたら断れない性分なのが玉に瑕。
 今日も墓参りに来る途中で勤め先の病院に呼び出され断りきれず僕を墓地に送ってとんぼ返りしてしまった。

「酷いよね。父さん、母さんが亡くなってから数回しか家に帰ってこないんだよ」

 皮肉を込めてそう笑う。
 そういえば昔は、仕事を理由に病弱な母を置いて家に帰ってこない彼のことを嫌っていたっけ。
 まだ大学生とはいえ大人になった今なら……彼の苦労がわかる。
 断らないということは大人として他人と付き合う時、面倒な衝突を避けられる何より便利な逃げ道だ。
 他人とぶつかる労力とイエスマンになって自分だけが苦労する労力を天秤にかけ、ついつい後者を選択してしまう。
 だけど昔から嫌いだったそんな父の”断らない”性分は裏を返せば尊敬できる部分にも当たる。

「母さん……僕、父さんみたいな医者になりたいんだ。どんな病を患っている患者さんでも断らない……常に希望がある方向を指し示してくれるような医者に」

 父が名医と呼ばれる理由は幾つかあるけれど、その一つが今言った”断らない”というところにあった。
 病院側の設備の問題なんかも勿論あるんだろうが症状によってはいくつも病院をたらい回しにされるなんてことは残念ながらよくあること。
 勿論、病床や担当医の不足など色々な理由があるとは思う。
 受け入れたくても受け入れられない、断腸の思いで患者さんの受け入れを断るという状況もあるだろう。
 しかしそれでも父は絶対に断らない。
 父は、少なくとも担当医不在を理由に断らなくてもいいようにあらゆる科を専攻しているのだ。

「父さんがなんであんなに獣人科を熱心に勉強していたのか今ならわかるよ。…………父さんは、母さんの病気を治したかったんだね」

 父が名医と呼ばれる理由のうち二つ目はこれ。
 彼はまだ国内どころか世界にそう多くない、獣人を診られる医師なのだ。
 昨今、獣人と人間とが平等に過ごすようになって久しいけれど、本当に平等かと言われればまだ首を傾げざるを得ない。
 その例が、医療体制。
 つい百年ほど前までこの世界を動かしていたのは人間だった。
 身体は強いが知性では人間に劣る獣人はまるで使い捨ての駒のように人間に使役され、法は人間に都合のいいように作られていたという。
 しかし獣人の中でも知能の高い個体が徐々に社会に参入し始め、やっと世界は少しずつ獣人にも優しくなり、そうしてやっと平等が謳われるようになった。
 医療体制が遅れているのはそのせいで、そもそも獣人が社会に参入し始めるまで獣人だけが罹るような病や怪我の治療といった部分に関心のある者がそう居なかったのが何よりの原因だろう。
 だから、獣人特有の病や怪我に関して治療はまだ荒削りな部分が多い。
 獣人は平均寿命が人間より長く、また出生率も出生数も高いので人口の推移を見る限りは気付かれにくいが、死者数は人間の倍だ。
 医療体制が未熟なせいで幾つもの”不治の病”……もとい”今の技術では太刀打ちできない病”が存在し、それによって命を落とす獣人がまだ世の中には数え切れないだけいる。
 母のように。
 そんな世の中を変えたいと、母の葬儀の日に父が言っていたのを思い出す。

「やることいっぱいで大変だけど……でもやりがいもあるんだ。すごく楽しいよ」

 父と共に世界を変えるのが僕の夢だ。
 獣人が病に怯えない世界を、父と作りたい。

「もう行かなきゃ。じゃあまたね、母さん。今度は父さん、引きずってでも連れてくるから」

 墓石にそっと手を添えるとひんやりとした温度の向こうに微かなぬくもりを感じる。
 きっとそれは、ただ墓石が夏の日差しを浴びて暖かくなっていただけなのだろうけれど……僕はどこかに母の匂いを感じながら静かにその場を後にした。